これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

左手で字を書く練習とブリッジの練習

左手で字を書く練習を続けている。継続するのが大事かなと思い、短い時間だが毎日練習している。ところが練習を始めて二週間ぐらい経つが、全然うまくならない。

左手で字を書くのって想像以上に難しい。こんなに書けないものなのかって思う。右手でやっていたことを左手でやるって感じじゃなくて、今までにやったことのない新しいことを新しく始めたって感じかな。子供の頃、字を書けるようになるまでってこんな感じだったのかな。まだ全く効果はあらわれていないが、継続して練習をしたいと思う。

もう一つがんばっていることがある。それはブリッジの練習だ。ブリッジをできるようになりたくて、毎日練習をしている。子供の頃はできていたブリッジだが、今は全然できない。これも、こんなにもできないものなのかとびっくりするほどだ。

首や腰を痛めてはいけないので、毎日少しずつ練習している。少しずつだが体が柔らかくなってきたかな。できるようになるのは、まだまだ先だと思うがこちらも継続したいと思う。

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書類を置かれて腹を立てたり、傷ついたり

会社で休んだ時とか席を外した時に、メモも何も書かずに書類だけを机の上に置く人がいて、けっこうそういう人が多いんだけど私からすると信じられない。

置かれた側からすると、誰が置いていったかわからない時がある。せめて自分の名前ぐらい書いてくれよって思う。もちろん、いつも決まった人から受け取っている書類とかは、「ああ、○○さんが置いていったんだな」ってわかるけど、それでもせめてメモくらいは置いてほしいなと思う。もしくは、後で「書類置いておいたよ」って声をかけるとか。正直私はメモも何も書かずに書類だけを丸裸で机の上に置かれるのは不快だし、自分は絶対にやらないことにしている。

特に私は経理なので、領収書をもらうことがけっこうあるんだけど、コンビニのレシートとか居酒屋の領収書なんか小さいから、そのまま置いておくとなくなっちゃう危険性があるんだよね。それだけを机の上に置く人ってそういうことを考えないのかな?って疑問に思う。どうせ何かあったら、「俺は机の上に置いた」とかって責任転嫁するんだろうけど。

以前、私の部下(Aさん)から、「コロナになってしまったので10日間休みます」と朝電話がかかってきて、私は上司にそのことを報告したんだけど、その報告をした30秒後ぐらいに、上司がAさんの机の上に、居酒屋の領収書をポーンと丸裸で机の上に置いたんだよね。もうそれが信じられなかった。「えっ?」って声をあげそうになった。これから10日間休むって言ってるのに。10日間も休んだら、机の上が書類で一杯になる。居酒屋の領収書なんかを置いておいたらなくなっちゃうかもしれないし、Aさんが復帰した後、それを見ても、なにがなんだかわからないと思う。そういうことを考えないのかな?って思った。これこそまさに「俺は机の上に置いておいた」とか言うんだろうけど。私的には信じられない。私が気にしすぎなのだろうか。

以前、ある人が、私が席を外したタイミングを見計らって、私の机の上に書類を置いていた。おそらく、私と口を聞きたくなくて、私に渡す書類がある時は、私が席を外すのを待っていたのだろう。最初は嫌だなと思ったけど、私もその人と口を聞きたくなかったので、私がいない時に書類を置いてくれるのをありがたいと思っていた。お互いにとっていいというか。

でも、私がその人に用がある時は、その人が席を外すのを待ったりはせず、その時のタイミングで用を伝えるようにした。なんかそれをやったらいけないような気がして。本音を言えば私も、直接口を聞きたくなかったけど、なんか逃げちゃいけないって思ったりして。
森田療法で「目的本位」と「気分本位」という言葉があるけど、「気分本位」の行動をすると結局後から後悔して自分が苦しむことが多い。だから意識的に、「嫌だけど、逃げちゃいけないんだ」と思いながら、書類を渡したりしていた。たかが書類1枚渡すだけで大袈裟だけど。もっとも、そういう風に意識している時点でもうダメなんだけどね。
そして、案の定冷たい対応をされて、やっぱりいない時に机の上に置いておけばよかったと後悔することが多かった。書類1枚渡すだけでも、もの凄く気を使って神経をすり減らす。本当息苦しい世の中になったなと思う。
無神経な人間になりたい。ずっとそう思ってきた。でもそれはもう無理だろう。多分一生このままだ。だったら、神経質な傷つきやすい自分を好きになりたい。大袈裟だけど。

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自分で自分が手に負えない

ここ数年思っていることだけど、食欲があって、きちんと眠れればそれだけで幸せだなと思う。若い頃は、食欲があって熟睡できていたけれど、給料が安いとか、恋人がいないとか、何もいいことがないとか不満だらけだった。まあ、あの頃はあの頃でそう思うのも仕方がないと思うけど、今思うと食欲があって熟睡できていたあの頃はそれだけで幸せだったなと思う。

私はいつも後になって、「今思えばあの頃はよかった」と思ってしまう。もしかしたら、5年後に、「今思えば5年前は全然幸せだった」と思っているかもしれない。いやきっと思っている。そして、5年後も「5年後には、今思えば5年前は幸せだった」と思っているのかななんて考えたりしてると思う。
いやぁ、なんか苦しいよ。とっても。考えすぎなんだな。自分で自分が手に負えない。

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蛍光灯が切れたが、取り替える気力がない

数日前から台所の蛍光灯がチカチカ点滅している。新しい物に取り替えたいのだが、天井が高くてかなり大変な作業だ。椅子に乗っただけじゃ届かない。椅子の上に本とかを乗せてやれば届くかもしれないが、かなり危険だ。もう若くはないし、こんなことで怪我をしたら大変だ。無理はしない方がいい。

なによりも気力がない。以前だったら、なんとかしなくてはと思い、何か方法を考えて行動しただろう。でも今は気力がなく、そのまま放置している。

なんというかダメを押された感じ。泣きっ面に蜂、みたいな感じ。20年ぐらい前に、毎日残業が続いて疲れきっている時に、住んでいるマンションが大規模修繕をやることになり、バルコニーに設置している洗濯機を一時的に室内に移動しなくてはいけない時があった。それは仕方がないことなんだけど、こんな時に・・・と思いながら必死になって移動させたのを覚えている。あの時も、ダメ押しを食らったような気持ちになった。
それにしても今思うとよく一人で洗濯機を移動できたなと思う。

ひとり暮らしなので仕方がないのだが、蛍光灯の取り替えは本当に厄介だ。天井が高いんだよな。天井が高いと解放感があっていいのかもしれないが、照明器具や蛍光灯を取り替える時に困る。個人的には低い方が照明も明るいし、冷暖房も節約できていいと思うのだが。まあ、あまり低いのも問題だが。

こういう時にいつも思うのだが、マンション内で脚立のレンタルとかがあればいいのになと思う。脚立って必要な時は必要だけど、買うまではいかないしね。まあ、愚痴ってばかりいても仕方がないので、週末に決着をつけようと思う。

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堂々巡り

私はもう5年以上前から会社を辞めたい、会社を辞めようと思っていて、「次の賞与をもらったら退職しよう」「今の仕事の区切りがついたら退職をしよう」と日々考えている。ところが最後の最後で退職することを決断できず、「もう3ヶ月だけがんばってみよう」「とりあえず退職するのは先延ばしにしよう」と考え、結局何も状況が変わらないまま、1ヶ月が過ぎ、2ヶ月が過ぎ、1年が過ぎ、2年が過ぎ、5年以上経ってしまっている。

決断できない自分が悪いのだが、このような気持ちが中途半端な状況は辛い。会社を続けることが前提になっていないので、新しいスーツやバッグを買うことができない。今着ているスーツは、かなりの年数着ているので普通だったら新しいものを買わなくてはいけないのだが、「どうせ今年だけで来年は辞めているのだから」と思い、新しいものを買えないでいる。でも、結局辞めないので、結果、ずっと同じスーツを長年着ている。さすがにみっともないので、そろそろ買い替えなくてはいけないと思うのだが、「いや、でももう辞めるんだから」と堂々巡りになってしまっている。もう本当に優柔不断な自分が嫌になる。

新しいスーツやワイシャツを着ている社内の人を見ると、会社を続けることが前提で悩んでいなくていいなと思ったりする。まあ、こういったことは、なかなか思ったとおりにいかずに、いざ会社を続けようと思って新しいスーツを買ったら、その途端に退職しなければならない事態になったりするものなのかもしれない。人生とは平穏なようでも、けっこう予期しないことが起こったりするものだ。

私は今を生きられないというか、わからない未来の心配ばかりしてしまう癖がある。新しい家具を買いたいけど、狭い部屋に引っ越すことになるかもしれないからやめておこうとか。
先のことは起こった時に考えて、今は今でやりたいことをしたいと思うのだが、それがなかなかできないでいる。がんじがらめとはこのことだな。自分で自分をそうしてしまっているのだが。おそらく自分でも気づかないうちに、かなり自分を縛ってしまっているのだと思う。凝り固まった自分の思考、自分の思い込みを手放すことができれば、もっと楽に生きられるのかもしれない。だけど、自分を説得して自分を変えるのは、他人を説得して変えさせることより難しいのかもしれない。

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左手で字を書く練習

左手で字を書く練習を始めることにした。
以前、利き腕じゃない方の手を使うと、いつもと違う脳の部分が活性化されて脳にいいというようなことを、本で読んだことがあり非常に興味を持った。私は右利きなので、これからは少し左手を使ってみようかなと思った。

最初に、左手ではみがきをしてみようと思ったのだが、思っていたよりも全然難しく、歯に悪い影響が出たら大変なのでやめることにした。その後、タブレットの操作を意識的に左手でやるくらいだったのだが、今日思い立って、左手で字を書く練習をしてみようと思った。

実際、やってみるとこれも凄く難しい。最初に、自分の名前を左手で漢字で書いたのだが、全然思うように書けない。そこでまずはカタカナから始めることにした。

書いてみるとわかるのだが、字って右利きの人が書きやすいようにできているような気がする。右利きだからそう思うのかな?
継続してやれば、慣れてきて左手でも書けるようになるのかな。
毎日少しでいいので、継続したいと思う。

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身動き一つとれない

何年も前から同じようなことばかり書いていて、読んで下さっている方には大変申し訳ないと思うのだが、日記ということでご容赦いただきたい。

会社を辞めたいと思いながら、なかなか踏ん切りがつかずずっと悩んでいて、いつまで経っても何も変わらないので、期限を決めることにした。私は9月生まれなのだが、「今度の誕生日を迎えた時の気持ちで決めよう」と決めた。つまり、誕生日の日に、「辞めたい」と思っていたらスッパリ辞める。まだ未練があるようだったら続ける。いつまでも悩んでいても結論は出ないので、誕生日の日の気持ちで決めることにした。

そして誕生日を迎えた。気持ちはやっぱり、「辞めたい」だった。まあ、当然といえば当然だ。それでもう辞めることにしようと決めた。

ところが、なかなか退職を言い出せない。言い訳かもしれないが、退職を切り出す相手がいなくて困っている。通常は直属の上司に言うのが普通だと思うのだが、上司には言いたくない。上司は私が辞めると困るので多分まともに話を聞いてくれないだろう。そして、上司に話をすると、上の本部長や社長に変な風に話が伝わってしまう。「給料をあげてくれれば辞めない」と言ってるとか。そんなこと一言も言ってないのに。だから、上司とは話をしたくない。

そうなると、その上の本部長ということになるのだが、こちらもあまり気が進まない。
悪い人ではないのだが・・・。上司も本部長もダメとなると残るは社長しかいないのだが、私のような一社員が社長に話すというのも変だよな・・・。とにかく話ができる人がいなくて困っている。そりゃ居心地が悪くて退職したくなるわけだと思わず納得してしまった。

そんなこんなで先延ばしにしているうちに、ずるずると日々が過ぎていく。そして、未来の仕事の予定が埋まっていってしまって、退職を切り出しにくくなってしまう。
結局躊躇している間に、退職したら部下が凄く大変になってしまうとか、国民健康保険料がもの凄く高いとか、辞めたくない理由がどんどん出てきて、また悩んでしまい時間だけが過ぎていってしまう。

いろいろ考えてしまいがんじがらめで身動きがとれないって感じだな。でも、自分に限らず、そういう人って多いのかなと思ったりもする。

最近、エレファントカシマシの「ふわふわ」をよく聴いている。「この世の決まりはみんな 正しいと信じられて 身動き一つとれない」の歌詞が心に刺さる。こんな歌詞を書くなんて、当時の宮本さんは相当悩んでいたのかなと思ったりする。

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