これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

書類を置かれて腹を立てたり、傷ついたり

会社で休んだ時とか席を外した時に、メモも何も書かずに書類だけを机の上に置く人がいて、けっこうそういう人が多いんだけど私からすると信じられない。

置かれた側からすると、誰が置いていったかわからない時がある。せめて自分の名前ぐらい書いてくれよって思う。もちろん、いつも決まった人から受け取っている書類とかは、「ああ、○○さんが置いていったんだな」ってわかるけど、それでもせめてメモくらいは置いてほしいなと思う。もしくは、後で「書類置いておいたよ」って声をかけるとか。正直私はメモも何も書かずに書類だけを丸裸で机の上に置かれるのは不快だし、自分は絶対にやらないことにしている。

特に私は経理なので、領収書をもらうことがけっこうあるんだけど、コンビニのレシートとか居酒屋の領収書なんか小さいから、そのまま置いておくとなくなっちゃう危険性があるんだよね。それだけを机の上に置く人ってそういうことを考えないのかな?って疑問に思う。どうせ何かあったら、「俺は机の上に置いた」とかって責任転嫁するんだろうけど。

以前、私の部下(Aさん)から、「コロナになってしまったので10日間休みます」と朝電話がかかってきて、私は上司にそのことを報告したんだけど、その報告をした30秒後ぐらいに、上司がAさんの机の上に、居酒屋の領収書をポーンと丸裸で机の上に置いたんだよね。もうそれが信じられなかった。「えっ?」って声をあげそうになった。これから10日間休むって言ってるのに。10日間も休んだら、机の上が書類で一杯になる。居酒屋の領収書なんかを置いておいたらなくなっちゃうかもしれないし、Aさんが復帰した後、それを見ても、なにがなんだかわからないと思う。そういうことを考えないのかな?って思った。これこそまさに「俺は机の上に置いておいた」とか言うんだろうけど。私的には信じられない。私が気にしすぎなのだろうか。

以前、ある人が、私が席を外したタイミングを見計らって、私の机の上に書類を置いていた。おそらく、私と口を聞きたくなくて、私に渡す書類がある時は、私が席を外すのを待っていたのだろう。最初は嫌だなと思ったけど、私もその人と口を聞きたくなかったので、私がいない時に書類を置いてくれるのをありがたいと思っていた。お互いにとっていいというか。

でも、私がその人に用がある時は、その人が席を外すのを待ったりはせず、その時のタイミングで用を伝えるようにした。なんかそれをやったらいけないような気がして。本音を言えば私も、直接口を聞きたくなかったけど、なんか逃げちゃいけないって思ったりして。
森田療法で「目的本位」と「気分本位」という言葉があるけど、「気分本位」の行動をすると結局後から後悔して自分が苦しむことが多い。だから意識的に、「嫌だけど、逃げちゃいけないんだ」と思いながら、書類を渡したりしていた。たかが書類1枚渡すだけで大袈裟だけど。もっとも、そういう風に意識している時点でもうダメなんだけどね。
そして、案の定冷たい対応をされて、やっぱりいない時に机の上に置いておけばよかったと後悔することが多かった。書類1枚渡すだけでも、もの凄く気を使って神経をすり減らす。本当息苦しい世の中になったなと思う。
無神経な人間になりたい。ずっとそう思ってきた。でもそれはもう無理だろう。多分一生このままだ。だったら、神経質な傷つきやすい自分を好きになりたい。大袈裟だけど。

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