これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

私の将棋歴(3) 初めての将棋会館

私の将棋歴(2)からの続きです。

中学1年生の私は将棋に夢中だった。NHKの将棋番組を見たり、雑誌を読んで棋譜並べをしたり、詰将棋を解いたりしていた。だけど、将棋の楽しみはやっぱり実戦だ。父と指していた時期もあったが、私が強くなってからは指さなくなってしまった。対局する相手がいない私は、仕方なく「一人将棋」をしていた。

ただ一人で指しているだけじゃつまらないので、私はノートにプロの棋戦のトーナメント表を書いた。例えばNHK杯のトーナメントを自分なりに抽選の方法を考えて作成し、「今日は1回戦第1局、○○四段対▲▲五段の一戦です」「先手の○○四段、やはり得意の四間飛車ですねー。」「ほー、後手のこの構えはなんでしょう?」と一人で先手と後手、司会、解説の4役を実況しながら、一人将棋をして遊んでいた。そして対局が終わったら、「○○四段、振り飛車で快勝!」「▲▲五段はここで痛恨の悪手を指した」というように観戦記を書いていた。

今思うと笑ってしまうが、一人で抽選してトーナメント表を作成し、一人で将棋を指して、一人で解説と聞き手を務めて、その観戦記を書いていた。家族から「一人で何をやってるんだ」と馬鹿にされたりもしたが、楽しかった。今でも一人遊び有段者といっていいくらい一人遊びが得意だが、この頃から一人遊びが好きだった。この頃、今のようにパソコンやインターネットが普及していたら、時間はたくさんあったし、もっといろいろなことができただろうなぁと思う。まあでも、当時のアナログな一人遊びも楽しかった。

一人将棋も楽しかったが、やはり私は人との対局に飢えていた。私は将棋道場に行って将棋を指したいと思った。家の近所に将棋道場はなかったので、電車で二駅離れた所の将棋道場に行くことにした。当時の私の棋力は5級位。道場に来ている人は全員有段者で級位者はいなかった。私はいつも、2枚落ちや4枚落ちの下手で対局をした。この頃駒落ちの定跡を勉強した。

たくさんの人と将棋が指せるのは楽しかったが、駒落ちばかりで物足りないという気持ちもあった。やはり、自分と同じくらいの強さの人と平手で対局したいという思いがあった。

その頃、学校で将棋好きな子(以下A君)と仲良くなった。違うクラスの子で知り合う機会はなかったのだが、お互い「将棋好きな奴がいるぞ」という噂を聞いたのか自然と知り合うことができ、仲良くなった。A君は月に数回、千駄ヶ谷の将棋会館の道場に通っているとのことだった。将棋会館も千駄ヶ谷という地名も知らなかった私はA君からいろいろ教えてもらった。そしてA君と一緒に将棋会館に行くことになった。

初めて将棋会館に行った時は、子供の多さに驚いた。私が通っていた地元の将棋道場は、子供が一人もいなかった。世の中にはこんなに将棋が好きな子供がいるのか、将棋会館って凄いなと驚いた。同じ歳位の同じ強さの子たちと平手でたくさん対局することができ楽しかった。道場初日、確か5級を認定されたと思う。それから月に1、2回だが、千駄ヶ谷の将棋道場に通うことになった。道場にいる時間は、非常に充実した楽しい時間だった。