これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

コストを払う練習

私は、他人の目や反応を凄く気にしてしまう性格だ。子供の頃からそのような一面はあったと思うが、子供の頃はまだ「他人は他人、自分は自分」とどこかで線引きができていたような気がする。例え他人から批判されたり嫌われたりしても、もちろん辛い時もあったが、そんなに深く落ち込むことはなかった。自分は自分、たとえ一人でも、自分の中の楽しい世界があって満足していた。

辛くなったのは、大人になってからだ。特に30代半ばぐらいから、他人の目ばかり気にするようになってしまった。自分は自分という、自分の中の楽しい世界がなくなってしまったように思う。子供の頃、心の中にあった「ありのままの自分」という氷が年齢を重ねるにつれて少しずつ溶けてしまった感じだ。自分より若い人が増え、自分はもう大人でいい歳なのだから「~~しなければならない」「~~してはいけない」という考えが増えたからだろうか。ネットが普及した時代のせいもあるかもしれない。

私は今、生きているのが非常に辛い。理由はわかっている。他人の目ばかり気にしているからだ。他人の反応ばかり気にして行動しているから、とても疲れる。他人の反応によって、嬉しかったり悲しかったりするから、とても疲れる。他人の反応によって、やる気が出たりやる気をなくしたりするから、とても疲れる。

他人の反応によって自分の気持ちが左右される。他人の反応は自分ではコントロールできない。コントロールできないものに自分の気持ちが左右される。コントロールできないものをコントロールしようとするから、とても疲れる。

強さってなんだろう。それはありのままの自分でいることだ。自分を偽って他人の顔色ばかりを窺っているから、傷ついたり落ち込んだりする。自分をしっかり持てば他人の言動に左右されない。自己一致は強い。自己一致が最強。

人生の喜びは、ありのままの自分を受け入れてもらうことだと思う。そのためには、当然、ありのままの自分を表に出さなくてはいけない。だとすると、私は好かれるとか嫌われる以前の問題だ。ありのままの自分を出していないのだから。あの人はよくわからない人だ、こんな感じだろう。

他人の目を気にして言動して受け入れてもらっても、ホッとするかもしれないけど嬉しくはない。それどころか、他人に合わせている自分が好かれてしまうと、他人に合わせている自分を好きな人が寄ってくるのでますます苦しくなってしまう。一人は淋しいけど、人に会うと疲れる。それは本当の自分を出していないからだ。

書籍「嫌われる勇気」の中で好きな一文がある。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。・・・幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。

ありのままの自分を出して、そんな自分を受け入れてくれる人がいたら嬉しいだろうなと思う。そのためには、まずは自分がありのままの自分を受け入れることだ。頭ではわかっていても、なかなかありのままの自分を受け入れ、これでいいのだと外に出していくのは難しい。だけどなりたい自分になるためには、やらなくてはならないことだ。コストを支払わず成果をあげるのは無理な話だ。そんな虫のいい話はない。少しずつコストを支払う練習をしていきたいと思う。私にとってはこのブログもコストを支払う練習だ。