これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

過去の記憶に追い込まれる

小学生の頃の話。
小学1年生の時、一緒のクラスで仲の良い友人(以下A君)がいた。A君とは、毎日のように一緒に遊んでいた。お互いの家を行き来して、母親同士も交流があった。

小学3年になり、別のクラスに分かれてからは、まったく遊ばなくなってしまった。たまに顔を合わせることはあったが、挨拶をする程度。まあ、小学生なんてそんなものなのかもしれない。

それから月日が流れて、小学4年か5年生の頃、私は「そういえば今日はA君の誕生日だな」とふとA君のことを思い出した。小学1、2年生にやった誕生日会を思い出した。私は久しぶりにA君と少し話をしたいなと思い、A君の家に行ってみることにした。プレゼントを買っている時間はなかったので、自分が持っている本をA君にあげようと思った。その日はそろばん教室の日だったので、6時頃にA君の家に行って、少し話をしてそのままそろばん教室に行こうと思った。A君がいなかったらいなかったでいいやと思っていた。今思うと随分積極的だな。まあ、子供だったからな。

6時頃、A君の家に行った。A君のお母さんが出た。A君のお母さんは、私の顔を見るなり、「あらーー、お久しぶり。わざわざ来てくれたの? ありがとう! 上がって、上がって」と言ってくれた。私はリビングに通された。A君はまだ帰っていないとのことで、6時半頃に帰ってくるとのことだった。
私はこの後そろばん教室に行かなければいけないので、それじゃ帰りますと言おうとしたのだが、A君のお母さんが「食べて、食べて」と次々と料理を持ってきた。私は、「いえ、この後そろばん教室に行くので、もう帰ります。すいません、突然来てしまって。」と言おうとしたのだが、なかなか言い出せなかった。次々、料理を出してくれるので、少しは食べなきゃ悪いかなと思い料理を食べた。15分くらいして、さすがにそろそろ出ないとそろばん教室に間に合わないと思い、私はようやく「この後、そろばん教室なので・・・」と言って帰ることにした。
私が帰る時、ちょうどA君が帰ってきた。玄関で「久しぶり。誕生日おめでとう」と私は言った。A君は驚いていたと思うが、笑ってくれた。そして、お気に入りだった本を渡した。その後、私はそのままそろばん教室に行った。

 

大体こんな感じなのだが、今思い出すと本当に恥ずかしくてしょうがない。まず、突然、夕食時に、訪問するなんて図々しい。かなり迷惑だったと思う。おそらく、A君のお母さんは、A君の誕生日用にたくさんの料理を準備していたのだろう。A君の帰宅の予定が6時半頃だったので、それに合わせて。ところが、6時頃、突然私が訪問する。多分慌てて料理を出してくれたのだと思う。せめてその時に、「この後そろばん教室に行くので帰ります」と言えばよかったのだが、私は言い出すことができなかった。そして、料理を食べて15分後に帰った。多分、A君のお母さんからすれば、突然やってきて、料理を食べるだけ食べて帰って、なんて図々しいと思ったと思う。しかも、ちゃんとしたプレゼントも渡さず、自分が持っていた本を渡しただけ。それだって、A君のお母さんからすれば、プレゼントも持ってこないで、中古の本を持ってくるなんて、と思ったと思う。

その時は子供だったので、なんとも思わなかったが、大人になってからこの出来事を何回も思い出して、その度にとてつもなく恥ずかしくなり、A君のお母さんに謝りたくなる。いいわけをするつもりはないのだが、そんなつもりじゃなかった。私は、ただA君と久しぶりに少し話をしたかっただけ。でも、結果的には、突然やってきて、料理を食べるだけ食べて、さっさと帰っていった図々しい子、になってしまった。本当に申し訳ない。せめて料理を食べる前にすぐ帰りますとハッキリ言うべきだった。

この出来事は今更思い出してもどうにもならないので、できれば忘れたいのだが、何故か何度も思い出してしまう。「あの時、〇〇君が突然やってきて、慌てて料理を出したら、食べるだけ食べて、汚い本を渡してさっさと帰っていった」なんて言われてるのかな?なんて思いながら。まあ、もう、さすがに向こうは忘れているだろうけど。

よく過去は変えることができないけど、過去の解釈は変えることができるという。
私は今、かなりネガティブな思考回路なんだなと思う。今までなんとも思っていなかった忘れていたことを、突然思い出して、猛烈に恥ずかしくなったり懺悔したくなる。人間、忘れたつもりになっていても、心の奥深いところでちゃんと覚えているんだな。「忘れる」ということは、もしかしたらないのかもしれない。
もし私が今後、滅茶苦茶ポジティブな思考回路になれば、この出来事も解釈が変わるだろう。本を渡したら、A君もA君のお母さんも凄く喜んでくれていた、あの時行ってよかったという思い出になるかもしれない。

どうにもならない過去を思い出して自分を追い込むのはもう嫌だな。今後の出来事はともかく、少なくとも、過去の出来事は自分に都合のいい風に、前向きに解釈したいものだ。