これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

音がつらい

私はもともと音に敏感で大きな音に弱いのだけど、ここ数年でさらに症状が大幅に悪化したような気がする。音がつらい。耳の問題じゃなくて、おそらく脳の問題なのかな? どんな音も拾ってしまって辛い。精神的な問題で、ストレスが原因なのだろうか?

最近だと電車の中のアナウンスが辛い。「次は〇〇です」というアナウンスだけならいいのだが、最近は「ただいまコロナウイルスの影響により~~」というアナウンスがずっと続く。やっと終わったと思ったら、今度は英語でそのアナウンスが流れる。次の駅に着くまで、ずっと社内アナウンスが続く時がある。正直、「うるさい!」と思う。もちろん、必要なアナウンスということはわかっていて、それをうるさいと思う私が間違っていることはわかっているのだが、毎日凄く辛い。またか、と思う。こんなことを辛いと思うようじゃ、もう本当に普通に生きていくのは無理なのかなと毎朝電車でアナウンスを聴く度に気持ちが落ち込む。

私は声を張る人が苦手だ。声が脳の芯に響く感じがして辛い。そんなに声を張らなくてもいいよ、と思う。もちろん言ったことはないが。だから、大きな声で「いらっしゃいませ~~」と店員さんが言うようなお店は、食事中落ち着かないので避けてしまう。もちろん私の性質の問題なので、お店に文句を言うつもりはない。
私は声を張ることができないし、声を張る人が苦手。ところが世の中は、声が大きい人が明るくて好感をもたれる。逆に声が小さい人は暗い印象をもたれて損をすることが多い。声が小さくて、今までの人生、たくさん損をしてきたなと思う。私自身は、声が小さい人を見かけると、この人いいひとかも…と思ったりするが。

足音が苦手。特に女性の足音が苦手で、自分の少し後ろに女性が歩いていて足音がうるさい人だと耐えきれなくなる。わざとゆっくり歩いて先に行ってもらおうと思うのだが、それをして不審者だと誤解されても困るので困っている。本当に嫌味ではなくて、「すいませんが、私は耳が悪くて、あなたの足音が気になるので先に行ってもらえませんか?」と言いたくなる。大きな足音を立てて歩いて、声を張っている人って、悩みなんかあるのかな?と音で悩んでばかりの自分は思ってしまう。悩みの次元が違うような気がする。もちろん、人にはその人にしかわからない悩みがたくさんあるということは承知しているが、一瞬そう思ってしまい自己嫌悪する。

それから、私は喫茶店が苦手だ。最近はコロナの影響で違うのかもしれないが、隣の席との距離が近くて、隣の人の会話を拾ってしまって落ち着かない。昔、婚活をしていた頃、相手の人と喫茶店で会うことが多かったが、相手の話より隣に座っている女性二人組の声が聞こえてきてしまい疲れてしまい辛かったことが何度もある。

職場でも突然紙をクシャっと丸める人がいて、その度にビクッとなる。わざわざ音を立てて、クシャっと丸める必要などなく、普通に折りたたんで捨てればいいじゃんと思う。私はそうしてる。もくしはシュレッダー。とにかくうるさいと思うことばかりで、耳栓をしたくなる。というか、自分はもう普通に通勤して、普通に働くことは無理なのだなと思う。我ながらよくやっているなと思う。早く辞めたいと思っていて、いろいろあるのだが、それはまた別の機会に書きたいと思う。