これからは、のびのび生きよう!

「他人が自分をどう思うか」より「自分が自分をどう思うか」の方が大事。これからは、もっとのびのび生きていきましょう!

自分で選択しているという事実

人はいろいろなものを見ているようで、実は見ようとしているものしか見ない。正確にいうと見ようとしているものしか認識しない。例えば、今この瞬間、目を閉じて「今見ていた景色で赤いものを言って下さい」と言われても、おそらく答えることはできない。でも、目を開けると、赤いものがどんどん目に入ってくる。これは、赤いものと言われて赤を意識するようになったからだ。

私は数年前、首の調子がもの凄く悪い時があった。その頃は、歩いていると整形外科や整骨院、整体などをよく見かけた。世の中、こんなに整骨院や整体があるんだなと驚いたくらいだった。ところが、首の調子が少しよくなると整骨院等を見かけなくなった。同じ景色を見ているのに、見える(認識する)ものが違う。意識によって見えるものが変わる。見るものを選択しているともいえると思う。

例えば、朝、スニーカーを履いて通勤している人は何人いるかな?と思いながら歩いていると、スニーカーで通勤している人が目に入るようになる。逆に何も考えないで歩いていると、スニーカーで通勤している人が目の前にいても気がつかない。

よく縁結びの神社に行ったら、その年に本当に良い相手と出会えることができたという話を聞く。それは、縁結びの神社に行ったことで、「良い人と出会うかも!?」と意識するから、そのような相手が目に入るようになり、見つけることができたというのもあるのではないかと思う。

いろいろ書いてしまったが、人は見ようと思っているものしか認識しない。これを利用して、毎日できるだけ幸せな気分でいられるように私が実行していることがある。それは、朝起きた時に「今日は良いことがあるみたいよ。なんだろうね?」と声に出して言う。声に出して言うことで、良いことに意識がいく。そして、良いことが目に入るようになる。横断歩道で車が止まってくれたとか、道を譲ったら相手の人が会釈をしてくれたとかささいなことかもしれない。でも、意識をしていないと気がつくことができない。良いことがあったと認識することができない。

逆に、私が若い頃そうだったのだが、朝出かける前に、「今日もどうせ嫌なことがたくさんあるのだろう。今日も俺は、みじめでぶざまな1日を俺の歴史にきざむのだろう」と思いながら出掛けると、嫌なことに意識がいくので、嫌なことばかり目に入ってしまうことになる。

同じ景色を歩くのなら、嫌なことより、良いことが目に入った方がいい。それは意識的に選択することができる。

そして私は、過去の記事でも書いたように、夜寝る前に「今日はなにかいいことあった?」と自分に質問する。そして、「今日はいい日だった、なぜかというと・・・」で始まる日記を書くことにしている。そうすることで、良かったことに意識を向けることができる。

 

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無理やり良いことを探したり、良いことに意識を向けたりしても、肝心の現実は変わらないじゃないか、そんなのごまかしじゃないか、と以前の私は思っていた。でも、時間はかかるかもしれないが、現実は変わっていく。良いことに意識が向いて、毎日が少しでも楽しくなれば、明るく挨拶ができるようになったりするかもしれない。逆に悪いことばかりに意識が向いていたら、どうせ俺は・・・と思い挨拶もしなくなってしまう。意識の向け方によって行動が変わる。そして、現実(未来)が変わってしまう。そう考えると、今の自分は、これまでの自分がいろいろなものを選択して見てきた結果ともいえる。これからの自分は、これからの選択次第で作られるともいえる。

こんなことを書きながら、私はかなりネガティブな人間で、どうせ自分なんて…と思ってしまうことが多い。だけど、なんとかこれからの人生を切り開いていきたいと思っている。そしてその過程をこのブログに書いて残せたらいいなと思っている。

これを書きながら、頭に浮かんだのは、エレファントカシマシの「何度でも立ち上がれ」という曲。ミニアルバム「DEAD OR ALIVE」に収録されている曲だ。これまでのエレカシの曲は、宮本さんの苦悩を歌った曲が多かった。この曲もそうなのだが、だけど見てみなよ、このままじゃ終わらない、やってやるんだという決意のようなものを強く感じて、初めて聴いた時、驚いた記憶がある。そして次の曲の「未来の生命体」を聴いて、これは凄く好きなアルバムだなと思った。このアルバムが発売された時、テレビで「ファンはわかってくれると思う」と宮本さんが言っていてそれが凄く嬉しかった。ミニアルバムで曲数は少ないが密度が濃く大好きなアルバム。私がこのアルバムで一番好きな曲は「漂う人の性」。♪潜みしそのプライドに かけて歩み出せよ♪